「株式投資と出会わなかったら、人生は退屈だったろうな。心底そう思うな」ということ。
株式投資は、短期的にはうまくいかない局面のほうが多いくらいだ。だからこそ、中期的に相場の波に乗れて、首尾よく言ったときの喜びが大きいよな。
「あなたは生活に非常にハリがあるようにみえますが、何か楽しいことがあるのですか?」といった趣旨のことを、同僚や仕事仲間から尋ねられることがたまにある(尋ねた方の表現は様々だが)。
逆に言えば、私と同世代の面々は、仕事や立場に追われ、汲々としているケースが多い。最近知り合った人が楽しくなさそうにしているのは、まあそれは自分の人生、仕方ないと思うんだが・・・一方で学生時代の友人や長い知り合いが苦戦して、やる気を失っている状況を目の当たりすると、胸が痛むよな。
私は、株式投資に大いなるロマンを感じていてね。これが「生活にハリがありそう」と見られている主たる要因だと思うんだよな。幸いにもここから、取りやすい相場を迎えると思う。自分は今それに対峙し、相場に留まることで満を持して、それを取りにいく。
おそらくそれほど難しい相場環境ではないので、初心貫徹できれば、相場環境を激変させるイレギュラーなことがなければ、きっとうまくいく。・・・・こう考えると、これはいやがうえにもワクワクするよな。
加えて言えば、私は起きているかなりの時間において相場のことを考えており、これが現在では、脳内快楽物質の分泌に貢献しているものと思われる。90年代後半の暗い相場では、こうはいかなっかたけどな。
さて:
私の株式運用関係の友人は、総じてキラキラしている。まあ、キラキラしている魅力的な友人だから、会いたくなって付き合っているというのが実際のところだが。なぜって?いつも相場のことを考え、「次の一手はこうか?」ということを考えるのが快感で、これが彼らに、メンタルな面でポジティブな影響をもたらしているんな。さらにいえば、相場をやる上での正しい筋道を理解しているために、キラキラしているということなんだろな。
逆に言えばそうでない人、株式運用の正しい筋道を理解できていない人は、多くが悶々としているか、皮肉的な性格になっていると思う。残念だが、ここが重要なポイント、そしてこれが現実です。どうせやるなら、「キラキラ側」にならないと、報われないって。
団塊の世代を対象にした雑誌等で、「定年リタイヤ後は株式投資」との提案(?)をしているケースがあるが、株式投資はだれにでもうまく行くものではないので、万人にお勧めすることが出来るものではない。成功するのは、間違いなく一掴みだからな。残念だが、これが現実。そうだよな。相場はそんな甘いモンではないから。
しかしこの状況を踏まえてなお、株式投資の世界にチャレンジし、自分のものに出来たら、これに勝る喜びはあまりないと思う。チャレンジする価値は、十分ある。きちんとした運用知識をつけることが重要だよな。
取り留めがなくなりました。この辺で。