飯田線、湯谷(ゆや)温泉に小旅行①はづ別館の温泉の続きを。2018年3月の話ですね。
夕方6時。夕餉の時間。楽しみだが・・満足のいくものだった。主なメニューを。
まずは前菜いくつかと、まんなかはお造り。大ニジマスと湯葉。辛子醤油もしくはトマト醤油で頂けと。大ニジマスのお造り、意外に濃厚な味わい。美味かった。ビールとよく合うな。
アマゴの味噌焼き。お造りともども、川魚。そんな地域だからな。アマゴの白身に麹味噌がよく合うな。
蓬莱牛の陶板焼。結構焼けてきたかな。うお…ちょっと噛むと、その後は口の中で溶ける。美味しな。
夕餉の後は、今日3回目の温泉。内湯。源泉がどんどん湧き落ちていくのが、「あ・・ここから温泉が始まっているんだな」という感じを醸し出し、なんともいえない、いい感じ。夜のせいか、昼とはやや異なる、緑色がかった温泉が神秘的だったな。「源泉」という言葉、好きだな。泉の源だからな・・・すべてはここから始まる。
宿の朝餉。魚は鮎の一夜干し。左上はこんにゃくの刺身。左下は後醤油の実と呼ばれるらしい。煎り大豆と米こうじと塩とで疲れる珍味と。
夕餉も朝餉も、さすがに地のもの、山のものが多かった。これでいい。これが嬉しく、美味しく感じられた。山の中の宿だからな。
畳の小上がりで、食後のコーヒーをいただく。かつて忌野清志郎もこの場所を好み、ここによく座っていたらしい。この角度からあたりを眺めると、なんともいい感じ。趣きがあるよな。 帰り際にあたりを少し散策。足湯と、温泉スタンドなるものがあった。温泉スタンドでは、温泉100リットルが100円で販売されていた。「湯水の如く」という言葉があるが・・これが高いんだか安いんだか、良くわからかったが。どういう人が買うのか、またどうやって運ぶのかも不明。まあこの湯谷温泉は、源泉が豊富であることだけは理解できた。
チェックアウトの時間が近づく。宿の人と少し話を。件の故忌野清志郎は、晩年近くにかけ、ここによく来ていたらしい。車に自転車を積んで1週間ぐらい滞在して、湯治のように過ごしていたらしい。当然、化粧はしていないわけで、彼がだれか気が着く人は多くなかったそうな。忌野清志郎、この宿に泊まって・・・どんなことを考えていたんだろうなぁ。
さて
この宿の良いところは、天気が悪くても、それなりに楽しめるところ。温泉に入って畳の部屋の上でゆっくりとワインを傾けながら、読書をしたりする。自分と向き合う。居心地がよくて本当に楽しい。久しぶりだよなぁ、畳の部屋は。しみじみ、ぬくもりが感じられたな。おススメです。
特に今回の部屋は割安だった。一泊二食付きで15,000円。納得のお値段で満足の行く、気持ちの和む良い部屋であり宿だった。割安な理由は、部屋が宇連川に面していないし、かつ古いままなのでバス・トイレがないかららしい。でも当方はむしろ、こちらの方がいいなと感じた。川に面しているとどうしても流れの音が賑やかすぎる。こちらはほぼ無音で、考え事に集中できる。お風呂がない・川が見ることが出来ないのは、露天温泉に入ったりロビーに行けば解消される。むしろ昭和24年建築のムードが残っているこの部屋のほうが広いし、趣きを感じる。今度泊まるときも、こちらを選びたいな。
次回は、名古屋から飯田線に乗って、この宿で一泊。そこからさらに飯田線で飯田まで足を延ばし、一泊。そこからバスで新宿に向かう。そんなルートもいいなと感じた。これなら豊橋発午前十時頃、翌日も湯谷温泉発午前十一時半頃の特急「伊那路」に乗れるからな。
あと逆に言えば、飯田線に乗るときは鈍行は避け、特急「伊那路」に乗ることを強くおススメします。理由は、これは飯田線に限らないが、JR東海の鈍行車両は、窓が汚れたまま放置されているケースがとても多い。これは大変残念なこと。当方からも、「これでは・・鈍行のテツ旅の客は失望してしまいますよ」と駅員に苦言を呈したこともあったが、改善されない。その点は覚えておいていただくといいと思いますね。これが現実ということを。
最後に。「はづリゾート」の名前の由来は、このグループの会長が愛知県幡豆群の出身だからだそうです。愛知県幡豆は蒲郡の近くに「はづリゾート」の名前が冠された宿は見当たらない。おかしいな・・と常々思っていたが、こういう理由だとは。思いもよらなかったな。まあこれも、この宿を訪れたからわかること。人生悪くないな。しみじみ、そう思いましたね。