徳島に出張①ホテルクレメント徳島と柴門ふみの続きを。2013年5月の話。ちょうど7年前か。
このころのブログを読み返すと、大阪単身赴任時代が懐かしい。セミナー仕事しながらふら~と出張旅してて、のんびり過ごしていたことがわかる。翻って今は、二週間に一度は旅に出てるけど。今のほうがのんびりしてないのかもしれない。
出張旅は、仕事ついでの旅。仕事が主で旅は従と、一応。ブログネタは、出たとこ勝負。旅だけだと、どんなブログを書き上げようかなとか、事前にシナリオを考えたり。結構、緊張感を持って旅してるかもしれない。旅先でも書いてるしな。少し力を抜いたほうが良いのかもな。どうだろか・・・不思議なもんだな。
仕事は昨日の夕方でおしまい。今日は大阪に帰るだけ。徳島駅前から1時間程度バスに乗り、徳島港へ。ここから和歌山港に向かう。
紀伊水道を南海フェリーで渡る、2時間の船の旅をしてきた。海がきれいだったな。写真を。
さらば徳島!徳島港フェリーターミナルを後にする。今日も天気に恵まれた。徳島の街が遠くなるが…空も海も、きれい。景色全体が、海と空の青に染まる。これ、四国の海の景色の、特徴かもな。
位置関係を。徳島から和歌山へ船で、和歌山湾を渡るんだな。その途中に紀伊水道があるということだな。南海フェリーの船室。ここは和室。寝転がることができるようになってる。フェリーなので、クルマの運転手が仮眠を取れるようにとの配慮もあろうが・・・・なんとなく気だるいムード。確か1985年だと思うが…廃止になった、かつての青函連絡船と、イメージが重なったな。
天気も良いし・・・ここは甲板に出る一手、だろうな。紀伊水道の海。ものすごくきれい。感動的だな。瀬戸内海に近いせいか、波も少なく、穏やか。…ただ、宇高連絡線航路と比べると、島の数が少ない。その分、景色の変化には乏しいと、言えなくもないが・・・それでもこの圧倒的な空の青・海の青といったら。やっぱり・・・惹きつけられるな。
この日は少し、寒かった。ビールをゴキュッといただくより、自動販売機にある、日清のシーフードヌードルを食べながら海を見ることに。このぐらいで、ちょうどよかった。宇高連絡線なら讃岐うどんを食べるところだろうが・・・・この船は、カップヌードル。でもそれはそれで、船旅に、ドンピシャに合っていたような気がする
和歌山港が近づいてきた。印象的な赤い橋は、なんだろうな・・・。海の上は寒かったが、陸地が近づいてきたら、だんだんと暖かくなってきた。
和歌山港に到着。少し歩くと、和歌山港駅が隣接している。ここからは南海電鉄のテリトリー。南海フェリーの連絡線、一駅だけの盲腸線。すぐに和歌山市駅に到着。
この電車、レトロな味わい、温かみがあって・・・なかなか、良いな。
さて
ここから南海本線の特急サザンで、大阪、難波まで。
南海の特急サザン。普通席は無料だが、クロスシートで実に味気ない。 一方で指定席は別料金がかかるが、こちらは立派な特急の座席。旅情たっぷり。当方は当然、指定席へ。
するとこんなにきれいなアテンダントさんが、指定席券を売りにやってきた。悪くないな。
さて
昭和の時代は、大都市から徳島にたどり着くのは、容易ではなかった。
東京からの寝台特急「瀬戸」は、岡山の宇野が終点。そこから宇高連絡船で、高松に向かう。四国は長らく、高松が玄関口。徳島に行くには、さらに高徳線での移動が必要だった。大阪からの移動は船が中心であり、今回の徳島ー和歌山フェリーも、重要な交通手段だったらしい。
しかし東京からは、ANAが撤退する一方、JALの羽田ー徳島便が増便。大阪からは、明石海峡大橋ー鳴門大橋が開通したので、当方が梅田から乗ったバスができ、一気に行き来がしやすくなった。
しかし・・・徳島ー和歌山フェリーは乗客が激減。また観光・ビジネス客を、大阪から徳島に呼び込むようにとの思いから完成した、明石海峡大橋ー鳴門海峡大橋ルート。これが皮肉なことに、その逆の流れ、つまり徳島から大阪への人口流出に拍車をかけたとの声が・・・特に徳島の方々から聞こえてくる。
以上は残念な話ではあるが・・・・旅情という点からは、そんな少し寂れたこのフェリー船は、逆に味わい深い。これは宇高連絡船にも共通するが、「兵どもが夢の跡」。このどこか漂う寂しさが、なんともいえない。
しかし寂れたとはいえ、徳島ー和歌山フェリーは、宇高ほどの悲壮感はない。この区間、ダンプカーなどを輸送するニーズは、一定量あるからだ。先細りの感は、否めないが・・・・どっこい、健在である。悪くない話だ。