浜口です。
1999年ITバブルの話①光通信。ITバブルで1年で20倍に上昇後、20日連続ストップ安の続きを。
なぜ1999年にITバブルが発生したのか。当時を振り返ってみましょう。
海外では、1997年からアジア・ロシア通貨危機、1998年にはLTCM破綻危機が発生した。一方で日本では時を同じくして、北海道拓殖銀行・三洋証券・山一証券・長銀・日債銀の破綻が起こっていた。この頃は日米とも、良い時代ではなかったんですよね。
このような中、ネガティブインパクトを抑えるべく、日米の中央銀行が動いた。大胆な金融緩和を行った。
結論から言えばこれは成功し、1999年頃には世界経済は底打ちしたかに見えた。しかし日米中銀とも、中途半端なタイミングで金融緩和を終了させると景気の腰を折る可能性があるので、敢えて金融緩和を終了させなかった。これがITバブルをもたらした大きな理由の一つですね。
これに加えて当時は、「2000年問題」の存在も大きかった。これは何かと言うと、コンピュータの多くは、1999年までは正常に作動することを前提に、ハードもソフトも作成されていた。
これが2000年代に突入すると、何が起こるかわからない。場合によっては、とんでもないコンピュータの誤作動が問題が発生するリスクがあると喧伝された。PCがうまく動かなくなるリスクが言われていたし、これは極端な話ですが、1999年までは正常に作動していた米防衛庁のシステムが2000年になると誤作動、次々にミサイルを発射されるリスクもゼロではない。そんなことが、まことしやかに言われていたわけです。
加えてこの頃はインターネットの黎明期。インターネット拡大シナリオが、これまでもかと語られまくっていた。とてつもなく大げさにね。それに伴い、IT銘柄株価も青天井と思われた。
これが当時、1999年の空気だった。日米とも、とんでもないITバブルに突入した。しかしバブルはいつか崩壊する。
次回に続きます。