さてさて、ここからは当時行った旧ブログ、投資日記ステーションで行ったアップを再度させていただきますね。
浜口です。下関・門司に出張①門司港ホテル(現在はプレミアムホテル門司港)の続きを。下関に行ってきましたが・・う~む。お隣の門司とは、少し違う印象だったな。寂しさを感じた。
まずはテツの話。下関駅の列車の行き先掲示板。驚いた!特別急行・急行の掲示板の電気が消えている!。そう、現在の下関は、特急・急行が全く停車しないんですね。鈍行と、あとは「みすず潮彩」という山陰本線の快速のみが発着するだけ(但しこの快速は非常に魅力がある。ぜひ乗ってみたいものだが)。

さらに残念なことに・・・・写真では右端で切れている、山陽本線の上り掲示板。当然、「東京・大阪方面」と書いてあって然るべきなんだろうが・・・・現在は「新山口・厚狭方面」となってるんですね。要は東京・大阪まで直通する列車がないわけですね。今はね。
下関は、本州西端の玄関口。かつて、九州行きのブルトレはすべて停車していた。東京行きの上りのブルトレ客はみな、下関か門司で駅弁を仕入れていたものです。「ふく弁当」とかね。あとブルトレでは、「あさかぜ」は一部下関始発のものもあったはず。もちろん、急行も様々に発着していた。それが今では・・・
街全体も、概して寂れている。人がまばら。百貨店では大丸下関があるが・・ここも人はまばら。下関は日銀の支店もある中核都市なのにな。このあたりに住んでいる人は、仕事も買い物の、関門海峡を越えて小倉を目指していることが多いようですね。
かつて日清戦争においては、下関の春帆楼で講和会議が行われた。あと、マルハの本社もかつては下関だし、捕鯨が盛んな時期はとてもにぎわっていたらしい。さらには大洋ホエールズ。その後の横浜ベイスターズですが、もともとはマルハがオーナー、大洋ホエールズの本拠地として1952年まで、下関市営球場使用されていたそうです。
私も日本全国、訪れているが。その中で、下関の廃れてしまった感は半端ない。一度栄華を極めた街というのは、こういう着地になってしまうんだろうか。それにしても、ここは極端。そんな気がした。
う~む。落ちがなくとりとめがない話になってしまったかな。今回はこの辺で。