私事ですが、コロナ禍で自宅待機が続く。そんな中facebookでさる女性が、「テレワークのMyルールはこれ↓ 守ることでなんとか仕事出来てます。」とアップしていたな。私も自分に課してるMyルールあるんですよ。それはね。

①朝は早起き、5時45分からテレ東ニュース・モーニングサテライト、その後BSテレ東日経プラスを欠かさず見る。

②その後は早朝散歩、日経を読んで9時から東京株式市場に対峙。

③一日最低一回、旅ブログを更新。2日に一回は株ブログを更新。

④夜10時半頃から始まるNY株式市場は寄り付きだけ見る。夜更かしはしない。

そんなところですね。まあ、株式投資中心の生活。でも、これだとな。場が開いてない週末の規則正しい生活はちょっと・・(笑)週末は旅に出ればバランス取れるんだよな。やはり早いところ、コロナ禍、終わって欲しいもんだな。さてさて・・・

浜口です。青森・大館へ出張③ JALシティ青森の続きを。2019年6月の話。

これから青森から秋田は大館に向かう。大館は奥羽本線の青森〜秋田、ちょうど中間地点にあるイメージ。弘前と能代の中間ともいえるな。

 


特急「つがる」2号秋田行き。これで青森から大館に向かう。このつがる2号の車両、カラーリングがイタリアの特急車両のようにも思えた。どうかな…

この特急「つがる」には、テツとして誇り高き歴史がある。昭和の時代は急行「津軽」であり、上野~青森間を奥羽本線経由で結ぶ、夜行の優等急行列車だった。この列車は出世列車とも呼ばれていて、東北から東京への集団就職、行きは各駅停車でも、帰りは立派になって、「急行『津軽』で帰って来いよ!」といわれたものだった。そのころの車両はなんとも古めかしいものだったが・・・時が流れた。いまの「つがる」は秋田と青森を結ぶ、軽快な短距離特急。イメージ、すっかり変わったもんだな。


特急「つがる」2号の車内。いい感じ。青森からの乗車率は10%ぐらいか。新青森、弘前からは少し乗ってきたが・・・それでも青森からの乗車率は30%ぐらいか。まあテツにとっては、乗車率はこのぐらいが一番いいんだが‥‥


大館駅にて。この駅は花輪線と連絡するが、ホーム向かい側にまさにその花輪線気動車鈍行用車両キハ112が止まっていた。盛岡から宮古、釜石など三陸方面へ向かう気動車と共通する車両。これを見ると、郷愁を誘われる。北東北に来たなぁという想いにさせられるな。


キハ112の車内。このムード、好きだな…


大館~弘前間の車窓。きれいだよな。車窓にあまり変化ないともいえるが、この区間は概ねこんな感じ。たまにリンゴの樹が見えるとこもあるが、この時期はまだ実が付いていないため、印象は薄かったな。


JR青森駅に隣接して、かつての青函連絡船、八甲田丸がおいてあり、中を見学できるようになっていた。いいな・・・


かつて青森駅から八甲田丸につながっていた頃の引き込み線。青函連絡船が青森ー函館の大動脈だったころは、この連絡船引き込み線経由で、貨車ごと連絡船で津軽海峡を運んでいた。でそのまま函館から、あるいは青森から、テツを走っていたんだろな。う~む。なんともノスタルジック。兵どもが夢の跡と言う感を禁じ得ないが・・・テツはこういうの、大好きなんだよなぁ。


驚いた!展示されていた八甲田丸の中に、かつてのキハ82気動車特急車両が!でも聞けば、これはあくまでテツに対するファンサービス。連絡船で運んだのは貨車だそうです。それにしても、こんな場所、こんなタイミングでキハ82に遭遇するとは・・・嬉しいサプライズだったな。
う~む。これは独断と偏見と妄想だが。これはおそらく。昭和の時代の気動車特急、青森~大阪を結んでいた特急「白鳥」車両ではないかと思うんだが‥

青森駅は、白黒写真が数多く展示されており、ノスタルジーを感じることができると同時に、寂しさも感じた。青森は青函連絡船があった昭和の時代は北海道への玄関口として活気があり、とても賑わっていた。しかし青函トンネルが出来て以降、玄関口の役割を終えてからは、寂れてしまった印象も強い。過去の栄光という言葉も頭をよぎる。青森県は酸ヶ湯や蔦温泉、あるいは3方を海に囲まれた恵まれた観光資源があるのだから、それを有効活用できると良いのだが。観光立国という言葉があるが、観光立県かな。そんな想いを強くした次第。

でもここが難しいところで。青森から「寂れた感」がなくなるとすると、それに反比例して「青森らしさ」もなくなってしまうように思う。となると、やはり今のままでいいのかな。旅情を感じさせてくれる、という一点においては。

まあ・・・そういうことにしておこう。青森、このままでいてほしい。で、これからも美味い魚介、おいしいお酒、津軽弁、あたたかいハートを感じさせてほしいな。そう思った。人生、悪くないって。