浜口です。週末ですね。秋の青森・八戸・宮古と旅へ ⑥山田線againの続きを。
盛岡にて。向こうのメタリック・グリーンの車両は、東北新幹線新青森行きの「はやぶさ」、手前のメタリック・レッドの車両は、秋田新幹線秋田行きの「こまち」。盛岡までは同じ路線だから、一緒に来るんだな。この連結シーンは、何度見ても、なかロマンチックな気持ちにさせられるよな・・と、当方は向こうのグリーンの新幹線に乗って、八戸まで。
八戸に到着。ここからは青い森鉄道の鈍行に乗って4駅、三沢まで。この路線は、新幹線開通までは、誇り高き東北本線だったが・・今は第三セクター線になってしまったな。3両編成。乗車率は結構高いが、乗客は高校生かご老人ばかりだった。まあ、ローカル線ではよくある光景だよな。
青森は三沢に到着。なんと…こりゃ、映画でも見てるのかな?時の流れが止まってる。昭和30〜40年代のムード。
ここは5年前に廃止になった、十和田観光電鉄線(とうてつ)三沢駅前の蕎麦屋さん。鉄道は廃止になったが、蕎麦屋は残る。午後二時くらいだが、常に2~3人ぐらいの客が、蕎麦をすすっていたな。
山菜そばを頼んだ。なんとも東北らしい、濃い醤油味。大阪の人が見たら、「なんだコリャ?出汁が黒く濁っとるぜよ!」とクレーム間違いなし。でも・・・関東から北の人間は、これがそばやうどんの基本なんだよな。う〜む。しみじみ旨し。蕎麦つゆだけでも販売、お持ち帰りできますと。
建物。しみじみくるよな。十和田観光電鉄はもう5年前、とっくに廃止になっているにもかかわらず、表示は消えていない…とうてつは地元の人たちの心の中に今も、息づいてるのかな。そんな気になったな。
上の写真は、とうてつ廃止前、切符売り場から改札口にかけて。蕎麦屋さんに掲げられていた写真を撮影したもの。下は極力同じアングルで、当方が撮影したもの。NTTの灰色の公衆電話が変わったないことに気が付いた。昭和の時代は、ここからとうてつに乗って十和田湖、奥入瀬に向かう観光客も多かったんだろうな。しみじみ・・・十和田観光電鉄線の歴史については、このWikiが詳しい。1970年度に年間165万人が利用、この時がこのテツのピークだったんだな。その後も細々と営業していたが、東日本大震災が廃線の引き金になったんだな…
三沢から羽田まで。JALの機内からの景色。ここは福島あたりかな。旅が終わる。少し寂しく切なくなるが・・・・でも、次の出張旅が待ってるからな。人生、悪くないって。